先日、クライアントさんに、どうやれば有効なカウンセリングができるのか?といった趣旨の質問をされました。
「こんなことができるのは、やっぱり技術や知識があるからなんですか?」
と。
その方は、とても素直で反応が早い方で、そのせいもあって、セッション開始時と、終了時では、気分がまったく変わり、打って変わって元気になって帰られたのですが、帰られる間際にその質問を受けました。その時は、正直、なんて答えようか、戸惑ってしまいました。
技術や知識が最重要でないことは確かです。それが全く必要ないとは言わないし、あったほうがいいのだろうけど、技術や知識だけではいいカウンセリングはできないというのが、私の考えです。
確かに、私はアメリカの大学院で心理セラピーを学び、その後もいまだに多くの専門的なセミナーに参加して、知識を増やし、スキルアップを図るよう心掛けてはいますが(なぜなら、そうしないと2年ごとに更新されるアメリカのカウンセラー免許を維持できないシステムになっているので)それだけではありません。それに、知識や技術の面でいうと、私にはまだ学ぶことはたくさんあり、十分あるとは思っていません。
ただ、頭だけの知識だけが下手にたくさんあったとしても、それを心に落とし込んでいないと、真理にならず、現実では役に立たないと思います。かえって表面的なセッションに終始してしまい、クライアントさんの心の深いところまで変えることはできなかったり、知識が邪魔をして、ほんとうにクライアントさんが必要としていることを見誤ったりすると思います。
例えば、認知行動療法の知識があっても、それが効果的なクライアントさんとそうでないクライアントさんがあり、また、同じクライアントさんでも、それが必要な場合とそうでない場合があります。それはその人と対したときに、感覚でわかります。だけど、特に日本では、例えば、ここでは認知行動療法を使うという前提が先にあって、どんな人にも、どんな場合にも、それを当てはめようと、頭で考えた治療を行うことが多い気がします。日本は精神医療が発展途上なので、まだいろんな療法を使いこなせる専門家が少ないというのもあるのでしょうが、本当に効果的なカウンセリングは、なんとか療法といったセオリーを越えたところにあると私は思います。
私がセッションをするときは、この症状だからこの療法を使おうとか、このスキルを使おうとか、あらかじめ準備することはいっさいありません。そんなふうに頭で分析してセッションに臨んでも、実際にクライアントさんと対面してその方の心の状態や問題を感じ取ったときに、それがあてはまることがほぼ皆無であることを、経験上わかっているからです。例えそのナントカ療法が有効なクライアントさんであっても、実際に目の前にその方が座ると、その方が、今、その場で欲しているのはそれではないことが大変多いです。
セッション前に、頭を動かして準備をする代わりに、私が心がけているのは、自分を空っぽにすることです。可能であれば、少なくとも数分前までにはほかのことをやめて、思考を静めて心を落ち着け、自分をニュートラルな状態にします。
クライアントさんとセッション中には、何をしているかというと、割と近年になって気づいたのですが、いわば、クライアントさんの周りに漂っている見えない情報を感じ取って読み取る、という作業を、ほぼ無意識にいつもやっている気がします。多分、いわゆるオーラを読み取るというのに近いのだと思いますが、私は霊能者ではないので、読み取る情報がスピリチュアルなものではなく、感情とか思考とか、或いは意識状態、心の状態などに限られてはいるのですが。
それから、もうひとつ秘訣があるとしたら、わりと頻繁に、祈りに似た念を向けながらカウンセリングをします。セッションが始まる前や、特に難しい局面にはセッションの最中であっても、目の前の方にとって最善が起こりますよう、幸せになられますようにと、祈るような意図を持つようにしています。
最近、インドの有名なアーユルヴェーダ医に治療してもらった人の話をマンガで読んだのですが、その時、そのお医者さんが、1日の始まりに、まず、アーユルヴェーダ神様に祈りをささげてから治療を始めるというのを見て、なるほど、やっぱりそうか、意図って大事なんだと思ったことがあります(私は、治療者として、まだまだその高名なお医者さんの足元にも及ばないので、自分と同じだなんておこがましいことは言うつもりはないのですが。)
私がすべてのクライアントさんに効果的なセッションができているとは限りませんが(そうなりたいですが)、ただ、あえて言うなら、上記に書いたようなことが、私の場合は、知識やスキルそのものよりも、カウンセリングに重要な役割を果たしているような気がします。