盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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Just A Game

最近知って、好きになったNulbarichの、Just A Gameという曲。

辛いことがあったとき聞いたら、心が癒されて軽くなるような、優しい曲で、お勧めです。

「困難があるかもしれないけど、大丈夫、きっと乗り越えられるよ、これは、ちょっとした試練、ただのゲームかもしれないよ」、という歌詞です。

インドの宗教(古代哲学)に、この世のすべてのできごとは神様の戯れである、私たちは、ひとつの神様(=宇宙)から分かれた存在で、もともとの姿を忘れて、絶え間ないゲームを繰り返している、という概念があります。

それを踏まえて聞くと、奥が深いな、と思える歌詞。

どんな出来事も、自分が進化して、神様(のように尊い、忘れていた本来の自分)に戻っていくための、お試しという、インドの古代の教えは、叡智をはらんでいる真理だと思います。

Nulbarichというグループ、優しく励まされたり、癒されたりするような、結構深い歌詞を、耳に心地いいメロディーに乗せて歌う、いいアーティストだなと思っていたら、今年で活動休止の予定らしいです。

残念ですね。

お問い合わせフォーム修正済み

以前、お問い合わせフォームからメールが届きにくくなっていた問題は、修正し、解決いたしました。

ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

お問い合わせいただいて、返事がない場合

お問い合わせフォームからお申込みいただいた際、2~3日たってもこちらからのお返事がない場合、届いていない可能性があるので、お電話いただければ助かります。

お電話は仕事中で出られないことが多いのですが、その場合は、留守電にメッセージを入れていただければ、折り返しさせていただきます。

最近、メールしたけれども返事がないというお客様が何人かいらして、現在、原因を究明中です。

お手数おかけして申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

お勧めの本

最近読んだ、お勧めの本をご紹介します。

「今日、誰のために生きる?」アフリカの小さな村が教えてくれた幸せがずっと続く30の物語 ひすいこたろう×SHOGEN著 廣済堂出版

著者のショーゲンさんが、幸せな人ばかりいるアフリカの小さな村に行き、1年半ほど人々と一緒に暮らし、そこで見聞きしたことをどうしてもみんなに伝えたいと思い、書かれた本です。

この村の人たちは、心を大切にしています。現代の日本の社会とは全然違い、目から鱗のことばかり。日々、すごいカルチャーショックです。

でも、それは、太古の昔、縄文時代の日本では、当たり前に行われていたことでした。

例えば、ショーゲンさんは、最初の頃、しょっちゅう部族会議に呼び出されて、問題を指摘されます。「お前はなんでそんなにゆとりがないのか」。

この村の人たちは心のゆとりをとても大切にしています。仕事が途中でも、時間が来たら潔くやめて、家に帰る。家族との時間が大切だから。

一人の子が、流れ星が見たいというと、大人たちも全員で一緒に流れ星を探しに行きます。

また、ショーゲンさんは、一緒に食事していても、お前は心がそこににないと指摘をされます。マインドフルでなく、マインドレスになっているということですね。

この村では、言葉を大切にします。心から言葉を話すことがどんなに大切なことか、知っています。 だから、相手を抱きしめるように話せといいます。 心がこもっていない言葉を話せば、小さな子供にもそれを感じ取られて、指摘されてしまいます。

この村の人たちは、感謝を伝えることを、とてもよくします。何かで恩恵を受けたら、それを与えてくれた人のところに行って、まっすぐそれを伝えるようにと言います。

失敗を悪いこと、してはいけない、とする概念がありません。失敗した人には、「かわいいね、人間らしいね」といいます。人は年を経るごとに、完璧になるのではなく、人間らしくなるといいます。

人に対して「信じているよ」とよくいいます。誰かが、こうしようと思うというと、「あなたがそうできることを信じているよ」と伝える習慣があります。

この村の人たちは、自分を大切にすることを、子供のころから自然に学びます。この村の人たちはみんな親切で人助けをよくするので、それにならってショーゲンさんが人助けをしようとすると、「お前を見ているとハラハラする」と言います。人に与える時は、自分の盃がいっぱいになって、そのあふれた分を人に与えなさいと諭されます。自分の心が満たされていないのに与えようとすると、自己犠牲になり、心に苦しみが生じます。苦しさが周りにも伝わるので、ハラハラするわけです。

叡智があふれていて、でもわかりやすく、易しい言葉で書いてある本です。変に小難しい心理系の本より、よほど役に立つと思います。

真理って、本当はシンプルなものです。

人は賢く進化すればするほど、ある意味、子供のようになっていきます。子供じみるのではなく、大人になる過程で身に着けた余計なものがなくなって、子供のように純粋になっていくということ。この村の人たちがそうであるように。

幸せであるためには、幸せを感じる心を持てばいいわけで、幸せを感じる心を持つためには、心にゆとりがなければいけません。何かを感じるには、感じるためのスペースが必要です。

現代社会では、利益をあげたり、競争して相手より上に優位にたったり、成功したりすることに必死で、その奮闘によって生じた膨大なストレスを紛らわすために、頭を忙しく埋めて、心から目をそらすことをしていますね。こんな状態で、幸せを感じることができるはずはありません。

色々、大事なことに気づかせてくれる本なので、一度、読んでみてはいかがでしょうか。

謹賀新年

本年もよろしくお願いいたします。

皆さんにとって、実りある、喜びの多い一年になりますように。

また、能登半島震災の被災者の方々に、お見舞い申し上げます。一日も早く、救いと癒しがもたらされて、平和な日常に戻ることができますよう、お祈り申し上げます。

今年もお世話になりました。

2023年もあとわずかですね。

今年も1年、大変お世話になりました。

年末年始はお休みさせていただきます。

お電話やメール、お問い合わせフォームからいただいたご連絡は、4日以降のお返事になりますので、ご了承ください。

また、2024年のセッションの空きは、今のところ、6日(土)以降となってております。よろしくお願いいたします。

それでは、皆さま、どうぞ、よいお年をお迎えください。

人生のような曲

ブラームスの間奏曲、Op.118-2。

この曲を聴くと、大学院を出て、カウンセラーという職業に初めてつくために、ミネソタ州からニューメキシコ州を目指して、車を走らせていた時のことを思い出します。

距離にして2000キロ以上を、3日ほどかけてドライブし、4つの州を越えて、ようやく、これから住むニューメキシコ州が見えてきたとき、これから始まる仕事で、どうか大勢の人の役に立てますように、一人でも多くの人の苦しみを救うことができますようにと、祈りを込めながら、大好きなブラームスのこの曲を聴いて、決意を新たにしていました。

人生の苦しみを美しく昇華させたようなこの曲は、深い癒しと慰めをもたらすように感じます。

ブラームスは、あまり多くの人に語らなかったようですが、よく、霊感に打たれて曲を作っていたそうで、この曲もその一つなんだろうと思います。大いなる力の働きが、辛い思いをしている人たちの助けとなるよう、ブラームスを通じて、顕現している曲。ベートーヴェンもそうですが、多くの天才は、一種の依り代のようなところがあるなと思います。

カウンセラーになった理由

たまに、「先生は、どうしてカウンセラーになったんですか」と聞かれることがあります。

私にとって、心に痛みを抱えている人たちと関わり、苦しみを喜び変えるお手伝いをすることは、それ以外の職業はあり得ないライフワークであり、ごく自然に導かれたことでした。

思えば、今まで生きてきた道のところどころに、そうなるような導きがあって、どうあってもこの仕事に到達するように、人生が仕組まれていたと思います。

私が、人生というものが、そもそも、辛く苦しいものであるということを知ったのは、子供の頃でした。そして、今、考えると、これは幸いだったと思うのですが、子供心に壮絶な心の苦しみを抱えている自分を理解し、助けてくれる大人は、周囲に誰もおらず、世界に一人ぼっちのような孤独感をたくさん味わいました。

それにより、私は、誰にも頼ることなく、自分で工夫をして、自分の心をなんとかして救うということを強いられ、何年もかかって、それができるようになっていきました。

自分以外に自分を救える人はいない、そしてそれができるようになるのは、最強であるということを、身をもって知ることができたこと、また、自分の苦しい体験によって、人の苦しみが手に取るようにわかる、共感力を身に着けることができたことは、恩恵に他なりませんでした。

だから、私は自分の生い立ちを振り返って、不幸だったとは思っていません。すでに過去の苦しみを浄化しているので、特に辛い感情がよみがえることはなく、ただ、大変有意義だった、必然の体験だったと思うだけです。

辛いことがたくさんある=不幸とは限りません。どんな体験も、裏を返せばギフト(=贈り物)なのです。

学校時代は文系、特に英語が得意だったので(理数系は全然ダメでしたが)、英語に力を入れている大学に進学して、アメリカ文化を専攻し、アメリカインディアンの文化や悲惨な侵略の歴史に興味を持ちました。

日本の大学を卒業後は、就職する道を選ばず、アルバイトをして貯めたお金を元に語学留学し、そのうち機会に恵まれてアメリカの大学に編入して、社会学と文化人類学を専攻。特に、社会の底辺で生きる人たちの苦しみ、社会の不平等さに強い関心を抱きました。

アメリカの大学を卒業後はいったん日本で働いた後、メキシコのユカタン州でマヤ族の人たちの間で暮らし、またアメリカに戻って、ご縁あってインディアンの居留地に住みました。

そこでは、文化をめちゃくちゃに破壊されて心を壊された先住民たちの悲惨な現状を目の当たりにしました。親は子供をネグレクトし、子供は小学高学年から麻薬やアルコール依存になり、子供を含めた住人の確か7割がアルコール依存。子供は十代になるかならないか犯罪を犯すようになる。事故(飲酒運転、冬に酔っぱらって道で凍死もよくある)、殺人(喧嘩、酔っぱらったインディアンが白人に殺されることもよくある)、自殺、麻薬やアルコールの乱用などにより、平均寿命は50代。これが、アメリカ先住民の実態でした。オーストラリアのアボリジニーや、カナダのエスキモーなどの先住民も、同様だと聞いています。

カウンセラーになりたいという思いは、それまでにも往々にして頭に浮かんだことがあったのですが、本当になろうと強く決心したのは、アメリカインディアンの人たちの間で暮らし、その悲惨で、希望のない生活を、肌で知ったからでした。この人たちの中で暮らすことは、自分も引きずり落されて鬱になりそうになる。だけど、どうせここにいるなら、自分はそうならずに、自分にできる 最善のことをしよう。この人たちを助けるために、大学院にいって、勉強をして、カウンセラーになるしかない。そう思ったのでした。

そうはいっても、最初のうちは、大学院に合格するだろうか、お金は続くだろうか、大学院の勉強についていけるだろうか、文化が違うのに、アメリカ人をカウンセリングしてやっていけるだろうか等、いろいろな不安や自信のなさがありました。

けれども、決めた道を進むうち、不思議なことに、すべての問題はクリアされ、やってみたら心配することはなかった、ということが次々起こり、気がついたら今に至っています。

大学院の勉強は、とても大変でしたが(何しろものすごい量の課題)、自分が興味がある分野なので、中学や高校や、大学での勉強さえも比較にならないくらい面白くて、スポンジのように脳が吸収して、身に着けることができたように思います。

大学院卒業後は、インターンを経て、アメリカのコミュニティのカウンセリング機関に就職し、日々、壮絶なケースのカウンセリングに追われました。

麻薬、アルコール、性的・精神的・身体的虐待・近親相姦は、日常茶飯事。自殺や殺人も珍しくない町で、何重ものトラウマで精神を病んでいる人たちが訪れ、私たちカウンセラーのスケジュールは毎日いっぱいでした。それでも、クライアントさんたちと関わることは喜びで(なぜなら、ほとんど例外なく、誰もが心の奥底はピュアで、光の性質を持っていましたから)、特に、何十年も苦しんできた人たちの苦しみが癒されたときは、何物にも代えがたい喜びをもたらしてくれました。

諸事情で、そんなアメリカ生活を切り上げて、帰国することになったのが、2011年、震災の年。日本語でカウンセリングやったことないけど、アメリカの資格で、日本で、職業としてカウンセリングをやっていけるだろうか、と不安に思ったのもつかの間。今でも、大好きなこの仕事を続けていけているのは、とてもありがたく、幸せなことだと思っています。

これからも、体が動く限り、私にとって、自己実現の最たる形である、この仕事を続け、自分ができる範囲内ではありますが、世界がよくなるお手伝いを続けていけたらと願っています。

人とつながることで得られるもの

人とのつながりが希薄だと、エネルギー不足になる可能性があります。

私たちは、人と交流することにより、自分と相手との間にエネルギー交換を行います。

否定的な関りは、ストレスや痛みをもたらして、エネルギーの低下を生み出しますが、愛ある温かい交流は喜びや幸福感をもたらし、エネルギーを活性化して輝かせ、生き生きさせます。

私たちは、人と関わることで、エネルギーを奪ったり奪われたり、お互いに与えあって、高めあったりもします。

誰かと一緒に過ごした後、気分が低下し、疲れを感じたときは、相手にエネルギーを奪われた、もしくはこちらがエネルギーを与えすぎたということです。

一緒に過ごした後、気分がよくなったり、元気になったと感じる場合は、相手からエネルギーをもらったということでしょう。その際、相手も同様に気分がよくなり、元気になったと感じるなら、お互いに与えあって、高めあったということ。

過去の傷つき体験から、周りはみんな敵だとみなして心を閉ざしたり、壁を作ることで自己防衛モードになったりすると、他者との交流によるエネルギーの供給が少なくなり、エネルギー不足から、抑うつ感や、イライラを感じやすくなることがよくあります。

人と関わることは生きていると避けられず、必須な要素です。そして、本当は、誰かを元気づけて幸せにしたり、自分を元気で幸せにする、とても素晴らしいことでありうるのです。

関りを避けるよりは、試行錯誤しながらでも、否定的な関りを減らし、肯定的な関りを心がける術を磨いていくことが大切だと思います。


感情が有害物質化するとき

感情は、いわば神経回路を走る電気信号であり、必要なものです。

脳は感情の信号をキャッチして体に指令を出します。例えば、恐怖を感じたら、体の筋肉を収縮させ、心拍数を上げ、呼吸を止めて、戦うか逃げるか、いずれにせよ、早く動けるように準備をします。(戦うか逃げるか以外に、フリーズするという第三の反応もありますが、ここでは便宜上省きます。)

感情の生み出すエネルギーは、行動への駆り立てにもなります。例えば、恐怖と同様、怒りも、自分を傷つけるものから身を守るための行動を促し、不当な扱いを受けたとき、立ち上がってノーというためのエネルギ―源になります。

感情のもう一つの役割は、意思伝達です。感情が巡ると表情にそれが現れ、言葉より早く、相手に思いを伝達します。相手がどう思っているか、 表情筋やしぐさが、無意識のうちに、 言葉よりも正確に伝えます。

日々の出来事や、頭の中で考えたことの結果の反応として、感情が沸き上がるのは自然なことであり、体にエネルギーを巡らせることになります。

感情を感じないように抑圧したり、感情の信号を必要以上の向精神薬などで遮断すると、流れが澱んで停滞し、濁った状態になり、感覚としては、鈍い、無気力な感じがするようになります。

感情を巡らせることは、生き生きと精力的に生きるためには必須なのです。

感情そのものは、このように、人にとって必要不可欠であり、有益になりうるものです。感情に いい、悪いはありません。 怒りや恥、恐れ、自責の念など、不快な感情であっても意味があって起こるもの、私たちに何かを教えてくれる大切なサインです。

ただし、感情が有害物質と化して、心身をむしばむことがあります。

それは、感情が長く留められたときです。

怒りや恥、恐れ、自責の念などの、いわゆる「ネガティブな感情」(本当は感情にネガティブもポジティブもないのですが)は、早めに手放すことができれば、有害物質にはならないのですが、ずっととどめていると、心が病むことはもちろん、体にも影響が出てきます。

以前、アメリカでカウンセラーとして働いていた時、強烈なトラウマを何十年も抱えて生きてきた人が、毎日のようにオフィスを訪れてきたのですが、こういう人たちは、若くてもあちこちに痛みがあったり、病気になったりする人が非常に多かったのが印象的でした。

その中に、子供のころに性的虐待を受けた30代の男性がいました。この人は、痛みのあまりにそれを誰にも言えず、ずっとアルコールで痛みを抑え込んで生きてきたのですが、その代償として、非常に怒りっぽい性格になっていました。些細なことで激情に駆られ、しょっちゅう喧嘩していたので、対人関係でも問題がつきず、警察のお世話になることもたびたびでした。彼はとても体格がよく、強そうな肉体の持ち主でしたが、見かけに反して体のあちこちに痛みが出ていて、スーパーで買い物をするときも、電動車椅子を借りて移動していました(アメリカには貸し出し用の車椅子があるのが普通でした)。この人が、幼少期の性的虐待のいきさつを私に初めて打ち明けたとき、何十年にもわたってせき止めていた感情が、一気にあふれ出し、号泣して、いつまでも泣き止まなかったのを、今でも覚えています。感情が突破口を見出し、解放されたことで、この人の気持ちはその後少し楽になり、穏やかになりはしましたが、何十年も抑圧され、とどめられた感情は、原初に形成されたより何倍も厄介なものになり、癒すのも困難になるので、その後もなかなか一筋縄ではいきませんでした。

この男性に限らず、長年留められた感情が、細胞レベルで体をむしばんでいると思われるケースは、たくさんありました。

ここまで深刻なケースでなく、日常で嫌な思いをしたときであっても、感情のサインを認め、受け取ったら、できれば早めに切り替えることをお勧めします。

感情は、認めて感じきったら、役割を終えて自然に消えていきます。なので、感じてあげることは大事なのですが、思考による解釈で感情を強めてしまう場合があり、その点は要注意です。

誰かと関わって、嫌な気持ちになったとき、その気持ちだけ、理屈抜きで感じてあげれば早く終わり、切り替えもそんなに時間がかからずにできるのですが、

「どうしてこんなことになったんだろう」

「あの人が悪い。あの人のせいでこうなった」

「私が悪いからこうなった」

「私はなんてついていないんだろう。みんなは幸せそうなのに。きっと不幸の星のもとに生まれてきたんだ」

等、思考を使って分析や解釈、いい悪いの判断をしたりすると、もともとの感情を強化して、自分の中に根付かせてしまいます。根付いた感情は時間がたつほどに有害化します。

時々、「あいつのせいで不幸になった」「あの出来事さえなかったら」あるいは「またこうなったらどうしよう」「きっとこうなるにちがいない」と、起こった出来事を取り出しては、 延々考え続けてエネルギーを与えることで、何十年も恨みや恐れを持続させている人がいます。

思考による反復は、何度も往復して強く轍を刻み込むようなもので、自分の中に刻印を作ってしまいます。それによって害をこうむるのは自分自身にほかなりません。

なので、そうならないよう、「つらかったな」「悲しかったな」「腹が立ったな」と自分の感情を優しく認め、受け止めてあげたら、あとは頭で考えて変に定着させないこと。自分や誰かの悪口を頭の中で言っているのに気づいたら、意識的にもっと快いものを見たり、聞いたり、考えたりして、切り替えることが大切ですね。

ちなみに、普段から、美しいものを見る癖をつけると、潜在意識の中のストックが増えて、切り替えが早くなるのでお勧めですよ。