盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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2015年

抑圧された感情が引き起こす症状

 ずいぶん前にも同じテーマで書きましたが、前回開催したグループセラピーの資料用にもう少し詳しく書き直したので、ブログでもシェアしたいと思います。

感情の扱い方は「感じて表現すること」が基本です。

そうすれば感情は解消されるので、また新しい感情が入ってくるスペースができます。こうして常に移り変わるのが感情の性質です。

ところが、もし感情を感じないよう抑えたり、感情を無視して感じないようにすると、本来出ていけるはずものもが閉じ込められて出ていけなくなります。そうすると感情は停滞します。これは「流れる水の性質」である感情にとってとても不自然な状態で、いわば流れが止まって淀んだ沼のような状態になるので、様々な心身の症状を引き起こすわけです。

では、感情を抑圧すると具体的にどんな症状が起こりうるか、下記に挙げてみます。

 

意味のない不安感 

感情はエネルギーを伴います。それを外に出さないで閉じ込めたら、緊張や漠然とした不安感を覚えることがあります。次に誰かに対する怒りを抑えた時、その後不安を感じるかどうか、確認してみてください。情熱や興奮の抑制も、不安をもたらすことがあります。

何かを失って悲しい時、悲嘆を表現しないでいると、しばしば鬱になります。泣いて涙を流すと、気分が改善し、効果的に喪失を悼むことができます。また、鬱は怒りを閉じ込めることよっても起こります。鬱は自分自身へ向けられた怒りが仮面をかぶった姿である場合もあります。近い過去に明らかな喪失体験がないのに気分の落ち込みを感じた時は、何に怒っているか自問してみるといいかもしれません。特に、自分を攻撃したり批判したりしている時には、この問いかけが役に立つでしょう。

身体疾患

頭痛、胃潰瘍、高血圧、ぜんそくなどの身体症状は、慢性的な感情の抑圧の現れかもしれません。自分の中の強い感情を特定し、表現することにより、多くの心因性の症状を軽減できる可能性があります。

筋肉のコリ

筋肉の張りやコリは、抑圧された感情がもたらす、ありふれた症状です。人は、気持ちを抑えるとき、特定の筋肉群をこわばらせる傾向があります。怒りや欲求不満を抑圧するときは、しばしば首の後ろや肩が固くなります。悲嘆や悲しみの抑制は、胸や目の周り、恐れは、胃やみぞおちを固くすることが多いでしょう。ただし、感情と筋肉群の相関関係は、絶対的なものではなく、上記以外の場所でも体に緊張を覚えることはあります。

(参考資料:Bourne, E. J. (2000) The Anxiety and Phobia Workbook. CA: New Harbinger)

 

感情とは一種のエネルギーなので、放出することが必要なんですね。その際、普段からちゃんと感じて出すということをしていれば溜まらないのですが、長年抑圧すればするほど、心身に有害なものになってしまいます。地震とか火山の爆発も、エネルギーの蓄積が大きければ大きいほど、大規模で有害なものになってしまうのと似ています。

自分の感情に無頓着でいる癖がある人は、自分が何を感じ、どんな気持ちになっているか、ジャッジすることなくありのままを観察するようにしてみたらいかがでしょうか。そうやって意識を向けるだけで、沸き起こった感情が自然に消えていく場合は多々あります。また、自分がどんな感情を抱いているか把握することは、実は自分の感情をコントロールできるようになるための第一歩でもありますから。

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REM睡眠の効果

今日は、REM睡眠について書いてみたいと思います。REMとはRapid Eye Movement Sleep(=眼球が素早く動く睡眠)の略で、この睡眠状態の時、私たちは夢を見ます。

近年の研究で、REM睡眠が気分の安定に大きな役割を果たすことが明らかになってきました。REM睡眠の時間が長くなると、抑うつ気分は改善され、REM睡眠の時間が少ないと気分はより落ち込みやすくなります。また、REM睡眠を多くとった後は頭がより冴えるという研究報告があります。

ちなみに、薬やアルコールを使用して寝ると、REM睡眠は阻害されます。寝つきをよくするために、睡眠薬お酒を飲んで寝ると、確かに睡眠時間は確保されるかもしれませんが、睡眠の質は悪くなり、通常自然に寝た時よりも頭や体は疲れやすくなります。これもREM睡眠と関係している部分があるのではないでしょうか。

夢は私たちの潜在的な意識状態を映し出します。夢は、現実世界の出来事に対する私たちの感情的な反応をきちんと消化するために、絶妙なやり方で調整してくれるように思います。

トラウマに苦しむPTSDの患者さんは、悪夢にさいなまれることが多いため、夢を見ることを拒み、REM睡眠が訪れると覚醒してしまう傾向があります。これは無理もないことではありますが、REM睡眠の欠如が、結果としてトラウマの解消を阻んでしまう可能性もあると思います。繰り返される悪夢にも意味があり、心を癒すために必要だと判断した潜在意識が、いわば故意にトラウマの場面を見せているのだという説を聞いたことがあります。潜在意識に抑圧されたものが浮上するのには必ず意味があると私も思っているので、これにはうなずけるところがあります。

EMDRというPTSDの治療法のオーソドックスな手法では、患者が指の動きに合わせて眼球を左右に動かします。これにより、患者の脳はREM睡眠時と同じ状況になり、恐怖で凍り付いてしまっていた記憶が意識の上で適切に調整され、未完了だった場面が意味づけられ終結を迎えることができるため、症状の解消に功を奏すると解釈する専門家もいます。

いずれにせよ言えることは、夜、夢を見ることは、心の健康を保つために必要であるということではないでしょうか。潜在意識の働きは、人智を超えて私たちを導いてくれるものだと思います。

 

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人に対する怒りの対処法

相手に対する怒りのほとんどは、

「相手はこうするべき」

または

「相手はこうするべきではない」

という、「べき思考」から起こるように思います。

そうするべきかもしれないけれど、そうするかどうか決めるのは相手次第。人には自分の行動を選ぶ権利があって、間違いを犯す権利もあるのです。

なぜなら、誰しも人には自由意志が与えられいて、それは他者が侵すことができない領域だから。

自由意志がないと学びもありません。間違った選択をして、壁に当たって、学びを得るのも、自由意志があるからこそなのです。

相手に「こうしてほしい」と、自分が願望や欲求を抱くのは、自分の自由意志の発現なので構わないし、むしろ抑制しないで自分でその気持ちを認めるほうが心のためになると思います。状況によっては相手に伝えることも大切でしょう。でも、「相手はこうするべき」と相手の自由意志を尊重しない思考を抱いてしまうと、必然的に、お互いに苦しくなる結果へとつながっていきます。

相手に対する「こうするべき」は、「こうしてほしい。でもそれは相手次第。」に変換することで、思い通りにならなかったとしても、気持ちの上で少し楽になれるのではないかと思います。

 

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心を平穏に保つ秘訣

心を波立てないで、平穏に保つ秘訣は、「判断しないこと」「無判断=ノンジャッジメントの実践」です。

私たちは、通常、絶え間なく思考を働かせて、外界の事象をいい・悪い、正しい・間違っている、これはこうあるべきだ、これはこうあるべきではないと判断し、レッテルを貼って分類したり、分析したりしています。心は、その過程で必然的に乱され、波立ち、平和を失います。

思考を用いることは必要な場合もありますが、たいていの場合、私たちは不必要に思考を働かせすぎています。そしてその結果、不安や苛立ち、落ち込みや嫉妬や怒りなどを生じさせています。

無判断とは、いい・悪い、正しい・間違っている、こうあるべきだ(こうあるべきだった)、という判断を控え、思考を介さないで、自分の外で起こることや自分の中に沸き起こるものを、ただありのまま眺めて体験することです。そうすると、心はやがて静まり、今まで隠れて見えなかったセレニティー(平穏・平和)が姿を現します。ちなみに、この状態は、叡智の宝庫であり、インスピレーションの源である「潜在意識」とつながることのできる、最適の状態でもあります。

1日中絶え間なく判断することに慣れている人は、最初のうちは、判断しないで時間を過ごすということが不可能だと感じたり、難しく思えたりするかもしれません。でもそれは、可能であるばかりか、ゆるぎのない心の安定のためには必須なのです。無判断を実践していると、最初のうちは頭の中で思考がうるさくおしゃべりするかもしれませんが、構わず優しく流してください。抵抗しないで放っておくと、そのうちに思考の方であきらめて、静かになるでしょう。

最初のうちは5分でかまいません。できれば朝と晩、無判断を実践してみてください。慣れてくれば、無判断の時を長く持つように訓練していけばいいでしょう。

無判断の日常的な実践は、心の安定をもたらすだけでなく、自己コントロール力や活力、識別力をアップさせます。結果として、いろいろな物事が流れにのって、うまくいくというご褒美も得られるはずです。

 

 

 

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意識と心と体

私は占い師ではありませんが、カウンセリングで数多くの人と接していると、この人は将来幸せになるだろうな、とか、反対に、この人はこのままではまず幸せになれないだろうな、と確信することがあります。

その根拠は、その人の意識状態にあります。

古代インドのウパニシャッド哲学によると、「意識が心を作り、心が体を作る」のだそうですが、カウンセリングをして、いろいろな人の意識状態、心の状態、体の状態をみてきた私は、つくづくそれは真理であると実感せざるをえません。

心に問題があると、やがて体に出ます。 問題がまだ心にあるうちになんとかすればいいのですが、それをしないで先延ばしにしていると、猶予期間を経たあと、目に見える形で肉体に現れます。

何年、何十年と、恨みや悲しみ、恐れ、自責の念、恥などの感情を持ち続けている人は、若いうちはまだいいのですが、特にある程度の年齢を経ると、体の痛みや病気といった形で、否が応でも心の問題に直面せずにはいられなくなります。ただし、若い人でも様々な身体症状に悩まされる人は結構います。例えば、虐待が多いアメリカでのカウンセリング経験では、線維筋痛症はたいてい虐待、特に性的虐待を経験し、それを長年抑圧していた人に非常に多く見られました。PMSや更年期障害といった症状も、心の症状と何らかの相関関係がある場合が多い気がします。

そして、心の問題は意識の在り方によって形成されます。

誰かに何かをされて嫌な思いをしたとき、いつまでも人を恨み続ける人、必要以上に自分を責めて落ち込む人とでは、心の状態がおのずと変わってきます。この場合の意識というのは、思考よりももっと奥深い部分を指します。思考(認知)は意識の表れではありますが、そのごく表層の一部が現れにすぎません。(なので、最近日本でもやっと知られるようになってきた認知行動療法だけでは、意識まで変えることはなかなか難しいと私は考えています。)

個人的には、心理カウンセリングは、結局のところ、本来、意識を変えるサポートとなるのが望ましいと思います。なぜなら、意識が変われば、すべてが変わりますから。何十年も鬱や不安、PTSDの症状にさいなまれていた人が、それを克服して別人のように明るく幸せになった例を時々見かけますが、これは意識がシフトした(切り替わった)結果に他ならないと感じます。そういう人たちは、口をそろえて、

「こんな気持ちになる日がくるなんて思わなかった」

「トンネルを抜け出して、明るいところに出たようだ」

と言います。意識、心、体のエネルギーが低い状態では、固く重く暗いと感じられますが、高い状態にシフトすると、軽い、明るい、柔らかいと感じられるのです。

ただ、意識を変えることは、大元を変えるということなので、そう簡単にはいかないことも多々あります。例えば、いつも原因は人にあると思っていて、自分の在り方に気づかない人に、傍から見るとそれでは決してうまくいかないとわかっていても、それに気づいてもらうのは一筋縄ではいかないことが多いものです。

どんな人も、奥底には純粋で光に満ちた意識を持っているものだと思いますが、それが何層にもおおわれていて、そこに到達するまでに取り除かなければならないものがある場合は珍しくありません。たいてい、そういった障害物を作り出しているのは、「痛み」、端的にいうと「愛の欠如」だと思います。

人の意識をより明るく光あふれる状態に導く方法を、これからもいろいろ学んで、カウンセリングに生かしたいていきたいなと思います。

 

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徹底的受容: radical acceptance

すでに起こったことに抵抗すると、苦しみが生まれます。

「こうなるべきではなかったのに」

「なぜ、こうなってしまったんだ」

等の言葉は、起こってしまったこと、すでにあることへの抵抗を表しています。

苦悩というものは、実をいうと、出来事そのものではなく、それに抵抗することによって起こります。

辛い状況や痛い気持ちに抗せず、あるがままに認め、思い切って受け入れると、不思議と心の苦しみはなくなるものです。

今、その状況を変えることができないなら、思い切って全面的に受け入れる。これを「radical acceptance=徹底的な受容」といいます。徹底的受容は、その状況がいい、悪いというのではなく、良し悪しを超えたところにあります。

今あるものを徹底的に受け入れると、意識状態が変わり、今まで執着していたネガティブなものに執着しなくなります。

これは、苦しみをなくすための叡智に他ならず、実践できさえすると、大変効果的なストレス対処法です。

よかったら、試してみてください。

 

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人からほめられたかったら

「人からほめられたかったら、ほめられようと思うな。」 

これって、逆説的なんだけど、真実だと思います。 

ほめられようと思って何かをすると、結局、本当の称賛は得られないものです。 

なぜなら、目的が「ほめられたい」というエゴからくる欲求に定まっているから。 

結果うんぬんではなく、ただそれがしたいから、それをすることが自分にとって正しいと思えるから、という純粋な思いで何かをすると、そのほうが結果的に人の心を動かすものです。

予想もしていなかったところから来る称賛こそが、その人の行為に対する真の評価であることが多いのではないかと思います。

 

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メンタルヘルスの法則集

最近、ゆっくり記事を書く暇がなくて、ご無沙汰しています。

今日はカウンセリングの現場でよく目の当たりにする、一種の法則のようなものを、手短に書いてみます。

1)頭で考えすぎると行動力が衰える。

思考過多であれこれ考える人は、不安を生み出し、自分にストップをかけて動けなくなりがちです。

2)過去のことを考えすぎると鬱になり、未来のことを考えすぎると不安になる。

過去はすでに過ぎ去っていてもう変えられないので、無力感にとらわれやすい。無力感は抑うつ状態を生み出しやすい。まだ来ていない未来のことも、今は変えられない。変えられないことを何とかしようともがくと、焦燥感にとらわれ、不安になりやすい。唯一変えられる時制である現在にフォーカスするのが、最も効率的で健全な意識の持ち方です

3)依存すると支配される。

依存すると、依存の対象に自分をコントロールする力を与えてしまいます。たとえば、パチンコやお酒に依存すると、パチンコやお酒が自分を支配するようになる。それが自分の意識の中で大きな存在になり、やがてそれ中心の生活を送らなければならなくなってしまいます。対象が人でも同じ。誰かに依存すればするほど、その人は自分の中で力を持つようになり、その人の言動によって一喜一憂するようになる。そして、その人がいなければ幸せではなくなる。これでは自分で自分を幸せにすることができなくなってしまいます。

4)境界線がない人は依存したりされたりしやすく、人に影響されやすい。

境界線(=人と自分の境目が甘い人)は、自分の感情と人の感情を混同たり、人の問題に責任を負おうとしたり、逆に自分の問題を人に背負わせようとします。境界線がない人には「自分がない人」が多いです。自分は自分、人は人、という風に割り切り、自分の人生には自分で責任を持つ、人の人生は最終的にはその人がなんとかするしかない、と意識するように心がけると、境界線が引けるようになり、人の影響を受けにくくなります。そして、周囲の目を恐れず、適切に自己主張もできるようになっていくので、生きるのが楽になります。

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失敗を恐れると成功しない

時々、失敗を極度に恐れる人に会います。

こういう人は、たいてい完璧主義になりやすく、必然的に不安感や緊張感も強い人が多いようです。

いつでも完璧に物事を成し遂げることは不可能だし、人生において一度も失敗しないこともありえないのですが、その不可能を可能にしようし、奮闘してもがくために、いたずらに不安感や緊張感にさいなまれてしまうというわけです。おまけに、完璧主義の人は失敗した時に必要以上に落ち込んだり、起こったり、不安に取りつかれたりするので、人一倍ストレスを受けやすくなります。

失敗や間違いを恐れる人は、失敗や間違いを悪いことだととらえている節があります。

起こってはいけない悪いことだから、避けようとする。

失敗を避けようとする人は、恐れから自分の行動を制限しようとするので、窮屈で不自由な世界に住まなければならないでしょう。

本当に成功して、偉業を成し遂げている人たちは、失敗を恐れません。

リスクを恐れないで冒険し、いろいろなことにチャレンジするので、多くを成し遂げ、発展することができる。加えて、偉人たちは、失敗してもタダでは起きないで、その過程で失敗から学び、転んで立ち上がる力を自信に変えて、より強く成長します。失敗も成長の糧にするなら、悪いことではなく、プラスの体験になります。

ちなみに、失敗を完全回避することは不可能かもしれませんが、失敗しにくくするためのコツはあると思います。それは、絶対失敗したらダメ、と思わないこと。絶対失敗してはいけないと思うと、かえって余計な力が入り、過度に緊張して、失敗しやすくなります。それより、失敗してもかまわないからやってみよう、と心を自由にしたほうが、本来の力が発揮しやすくなるでしょう。

たいていの失敗は半年後、1年後、5年後にはどうでもよいことになっているものです。つまり、たいていの失敗は取るに足りないこと。

失敗を恐れすぎないように、また、失敗しすぎても気にしすぎないようにしましょう。

 

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理屈が阻むもの

論理的思考、分析的傾向が強すぎる人は、学術的な意味では知性的なのかもしれませんが、かえって叡智からかけ離れてしまうように見受けられます。

平たく言うと、頭で考えることが得意で理屈っぽくて、勉強ができていい大学に行けるのかもしれないけれど、心の健康を司るための知恵にアクセスすることができにくい。

なぜなら、思考に偏りすぎる人は、身体的・内的な感覚に耳を傾けることが上手ではない人が多いから。直観というのは潜在意識の奥にある叡智につながっています。直観は思考ではなく、感覚的に得られるものなので、せっせと頭を働かせている人は、直観を受け取りにくいのです。直観は思考を静めて、リラックスしているときに、微妙な感覚として感じられるものです。ブルー・スリーの「考るな、感じろ」というのは名言だと思います。

ちなみに、頭で考えすぎると、たいてい、不安感が強まります。人は思考過多になると体の上の方のエネルギーが過剰になり、体の下の方のエネルギーが不足して、心身の状態は不安定になります。この状態では、肩や首がこったり、頭が痛くなったりしやすくなり、頭に血がのぼって緊張しやすくなるので、冷静に物事を判断することもできにくくなります。

さらに、思考を働かせている間は、内的感覚とつながらず、自分の内側にあるものを感じなくてもいいので、自分と対面することを恐れている人は、ノンストップで頭を働かせて逃避することがあります。その結果、疲れ果ててエネルギーを枯渇するだけではなく、自分の内側にある必要なメッセージを受け取れないので、道がそれて間違った方向に行ってしまったりします。

感情にアクセスすることを避けて、自分や相手の目を感覚的なものからそらし、傷つかないよう防御するため、論理思考、分析思考を多用することを、intellectualizationといいますが、それをしている人、つまり理屈っぽい人は、かえって心の問題を解決し、自分が幸せになるのを阻んでしまっているなあ、と思います。

論理的に考えられず、感情的になりすぎる人もまた問題ですが、何事もバランスが大切。知性と感性はバランスが取れている状態が一番いいのだと思います。

 

 

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