盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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09月

嫌なことから逃げないと・・・

嫌だなあ、逃げ出したいなあ、と思うことから逃げないで、その時の自分にできる最善を尽くして、真摯に向き合うと、たいてい、心配していたよりはうまくいく上に、なんらかのご褒美がもらえます。

最善を尽くしてもうまくいかないこともあるけれど、それはそれでしかたがない。

うまくいかないことにも、意味はあるのだから、それでかまわないと思う。

大事なのは、うまくいくかいかないかよりも、その時の自分が誠実であったかどうかだと思います。    

                                       (Chika)

 

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自己への慈しみと自尊心

近年、アメリカの心理セラピストの間では、自尊心を高めるよりも、自己への慈しみをはぐくむほうが、心にとって健康的であるといわれるようになってきました。

そもそも、自己への慈しみと自尊心は、どう違うのでしょうか。

心理学博士であり、脳心理学者でもあるるウォーデン博士は、自尊心は下記の点で問題があるとしています。 

 

・他者からの承認に重点が置かれている

・自分以外の価値観に合わせて生きる結果、満足感を損なう可能性がある。

・高めることが難しい

・非常に不安定で、最新の成功や失敗に応じて上下する。

・ナルシシストで自己中心的になる危険性がある。

・しばしば、人はこれを、優越感を持つことによって作り出そうとする。

・自尊心が高い人は、しばしば怒りや攻撃性も強い。

・見た目や競争心、人を卑下することにより、生みだされることがある。

 

自己への思いやりと自尊心は、双方とも自分に対する肯定的な気持ちを含んでいます。この2つの違いは、

 

・自尊心は、自分を「価値があり、好ましく、有能である」と評価することから生まれる。

・自己への思いやりは、自己評価を含まないで、かつ、自分を気づかい、自分とのつながりを持つという、肯定的な感情を伴う。

 

なので、自己への思いやりには、自尊心にみられる欠点を持たないと、ウォーデン博士は言います。

 

自尊心に対し、自己への思いやりは、下記のように特徴づけられています。

 

・ナルシシズムと結びついていない。

・エゴの脅威から守ってくれるので、不安感が少なくてすむ。

・過去の失敗に対し、より大きな責任感を持つことができる上、それを苦悩する度合いも少なくなる。

・安定性が高い

・より強いつながりをもたらす(他者と比較したり、怒ったりすることが減り、よりよい関係を築くことができるため。)

 

自尊心というのは、自分の行為や存在自体を、いいとか悪いとか評価することに関係します。いい・悪いの評価というのは相対的なものなので、どうしても人と比較して、劣等感や優越感を抱いたりしがちな上、自分の価値を見定めるにあたり、人の評価を気にしてしまうということも起こってきます。

そもそも、人間の価値というのは、人が判断して決めること自体、不可能であり、無意味です。人の評価を自分の価値基準にするのは、とても不自由だし、ばかばかしいことだと私は思います。

これに対し、自己への思いやりとは、いい・悪いという評価をせず、自分のすべてをまるごと受け入れて、自分に対して理解と慈しみを抱くということ。確かに、自尊心よりも自己への思いやりを持つほうが、心が満たされて、ずっと建設的に生きていけるでしょう。

そして、自分に思いやりを持つことができる人は、人に対しても楽に思いやりを持つことができるので、幸せな人間関係を築いていけるものだと思います。

 

(参考資料:Worden, T. (2014).  The Neuroscience of Self & Self-Acceptance: Brain-Based Strategies for Adressing Entrenched Guilt & Shame, PESI Webcast Seminar)

                                                                                                                        (Chika)

 

 

 

 

 

 

 

学校に通えない子どもに出会ったら

学校に通えない子どもたちに出会った時、決して、その子の生きる力を見落としてはならないと思っています。

傷つき、それでも頑張ってきた結果、エネルギーが枯渇し、自信も失っているであろう子どもたち。
自信を失うと、もう、自分は駄目だと思いがち。
でも、人にとって、大切なのはお勉強することでも学校に通えることでもない。
生きる力とは何なのかを知っており、それを持っていることであると、私は思います。

どんな子どもも、ちゃんと、生きる力を持っています。だって、今、苦しいのに生きてくれているのですから。

そのことに、感謝しましょう。

そして、その子の素晴らしさを言葉にして伝えてあげましょう。
どんな子どもも、キラキラとした素晴らしい力を持っています。

周りの人間に必要なことは、その素晴らしさに気づく力であると思います。
そして、少しずつ、自信を取り戻し、自分を取り戻せるよう、見守っていきましょう。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

学校に通えない子どもたち

学校に通えなくなる子どもは、今となっては珍しい話ではありません。

お勉強の他にも、色んな経験をさせてくれる楽しいはずの学校。
それがいつしか、トラウマになるほどに苦しく、恐怖心を抱く場所になってしまう。
いつの間にか笑顔を忘れ、言葉を失い、ひきこもるようになってしまう。

不安、恐怖、焦り、劣等感、恥、嫌悪‥‥
心の中は、色んな感情が交錯しているのでしょうけれど、本人すらもよくわからない。
学校に行こうとすると、具合が悪くなる。行けない。
周りは、「心配してどうしたの?」「何があったの?」って聞いてくる。
何があったか?
色々あったかもしれないけど、言葉にできない。

もう、傷つきたくないから言えない。
どうせわかってくれないから、言えない。
更に、事態が悪化するから、言えない。
本当にわからなくて、言えない。

十人十色

不登校と一口で言いますが、一人一人、違います。
だから、皆さん、どうしたらよいか悩みます。
本人はもちろん、親御さんの苦しみは、他人には、想像もつかないほどでしょう。

しかしながら、子どもの支援に最も必要なのは、お父様、お母様のお力です。
お父様お母様方が、心身ともにお元気でいらっしやること
子どもさんの反応に一喜一憂せずに、大きな器で見守ること
それが、一番、大切です。

でも、親も人の子。その一番大切なことが、一番難しい。
一人では、不安になって、どれが正しいかわからなくなる。

だからこそ、一人で抱えない。必ず、相談しましょう。                     

学校に通えなくなった子どもが、自分を取り戻すことが必要なのと同様に                                                                     親御さんも、自分に正直になることが必要なのですから。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

 

 

 

子どもの泣き声=子どもの学び=成長

あー、今日も子どもを感情的に怒ってしまった‥‥
子どもは悪くないのに‥‥
ただ、わからないだけなのに‥‥
ただ、外で遊びたいだけだったのに‥‥

一日の終わりに子どもの寝顔を見ながら、そう反省する。
そして、
「よし、明日は、早起きして、子どもが起きてくる前に、粗方、家事を終わらせておこう‥‥」
そう心の中で誓う。

でも、やっぱり、次の日も同じ繰り返し。

こんなこと、無いですか?

これがエスカレートすると、
どんどん自分を責めていき、終いには、自分は虐待しているのではないかと、不安になってきたり、
逆に、子どもが自分を試しているのではないか、馬鹿にしているのではないかと、猜疑心が湧いてきたりする。

それは、裏をかえすと、
「良き母でありたい」「子どもの無垢な望みを叶えてあげたい」
という「自身の母としての理想」と「包み込む母性」故のことであると私は思います。

でも、母親とて人間。
家事もこなし、子育てもちゃんとこなす事は、とてもとても難しい。

この体験は、子どもにとっては、
この世は何でも自分の思う通りにはならない
ということを身をもって知るというチャンスだと、私は思います。

子どもの泣き声に少しイライラするけれど、
例えば、
「あなたの希望は、お母さん、よくわかっていますよ。だから、これが終わるまで待っててね。」
「これが終われば外に出れるよ」
などという見通しを本人に伝え、待たせてみてはどうでしょう。
そして、約束通り、実行し、待てたことを良いことだと本人に伝える。

このようなことを続ければ、
子どもは、「今は望みは叶わないけど、待てば、必ず、叶う」
ことを学習し、待てるようになるでしょう。

子どもの泣き声=子どもの学び=成長

このような考え方でいられると、少しは子どもへのイライラ感、罪悪感が減るのではないでしょうか。

 

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

 

 

 

 

発達障がい • 告知すべきか否か

「子どもへの告知は、すべきでしょうか?」

教育現場では、時折、このような悩みが聞かれます。

担任の先生方にしてみると、本当に悩ましいことだと思います。

でも、一派一絡げに、「告知すべき、すべきでない」などと言えることではないような気がします。

また、「告知」についても、何について告知するのか、告知する目的は何なのか、きちんと考えなければなりません。

私、個人的には、診断名を告知することが重要な時もありますが、それよりも大切なのは、その子どもが「何ができて、何が苦手なのか」「今の苦しさが、何からきているのか」を知ることだと考えます。

自分の苦手なことが要因で生まれる苦しさであれば、その苦手なこととどう付き合っていけば良いかを本人、家族、支援者と共に模索する。

そうすることで、本人は自分を知り、家族も我が子を知ることができるでしょう。

このような支援の流れの中で、診断名を必要とする時が訪れたなら受診すべきであろう。あるいは、すでに、診断を受けている子どもならば、本人に伝えてあげるべきであろうと、思います。

理想論かもしれませんが、何よりも大切なことは、診断名を知ることではなく「自分を知ること」であり、「我が子を知ること」であると、私は思います。

 

                                                                                                                                    (佐々木智恵)

定休日のお知らせ

9月の第3週より、公共機関における定期出張相談業務のため、毎週火曜日もお休みさせていただくことになりました。

また、9月22日は臨時休業とさせていただきます。

よろしくお願いいたします。

                                                                                                                                         (Chika)  

 

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いじめについて:支配と自尊心

いじめはあってはならず、どんな場合でも、いじめる方が絶対に悪いと思います。

ただ、いじめられる方に原因があるかどうかというと、いじめっ子を引き付ける要素というのはあると思います。

ということは、その要素を認識し、変えてあげると、いじめに合わなくなってくる、ということでもあります。

いじめというのは、つきつめていうと、コントロール(支配)の問題です。いじめる方もいじめられる方も、コントロールの問題を抱えており、自尊心が低く、自信が欠如している場合が多いようです。

いじめる方は、自分の奥深くに潜む自信のなさや、自尊心の欠如を補うために、自分よりも弱く、支配できそうな人をいじめる。そうすることで、人より強く、優位に立っている自分という幻想を、一時、味わえるからです。

いじめられる方は、同様に自分に自信がなく、自尊心が欠如しているがために、境界線(自分と他者との境目)が脆弱で、人に付け込まれやすい人が多いように思います。(ただし、勇気をもって一人で大勢に立ち向かった人が、たたかれていじめらる場合もなきにしもあらずなので、必ずしもではない。)

境界線があいまいな人は、「自分」よりも「他者」に意識のフォーカスがいっている人が多く、「自分」というアイデンティティがしっかりしていないので、他者に支配を受けやすい傾向があります。

自分よりも人がどうしたいか、人にどう思われるかばかりに意識がいっていると、自分がなくなってきます。自分がなくなってしまうと、極端な場合、自分が好きなものとか、何がしたいとか、そんなこともわからなくなってしまいます。自分の意志がなくなってしまうということです。

自分がなく、自分の意志に乏しい人というのは、境界線を犯して土足で侵入され、いいように操られやすくなってしまいます。そして、人の中に侵入し、いいように操ろうとするのが、いじめっ子タイプの人。自分の中にパワーが不足しているがために、自分にはパワーがあると錯覚させてくれる対象に目をつける、というわけです。

本当の意味で自分に自信があり、自尊心があるがゆえに、内なるパワーで満たされている人は、人のパワーを奪って自分を満たそうとする必要がありません。なのでそういう人は、人をいじめたり見下したりしません。また、自分と人を比べて、劣等感を持ったり、優越感を持つようなこともしません。

自分に自信がなくて境界線が弱く、人に影響されやすい人は、典型的な共依存タイプの人です。こういう人は、支配欲の強いいじめっ子タイプと結びついて、共依存関係に陥りやすいです。ドメスティックバイオレンス(DV)の夫と離れられない妻も、このタイプの人が多いです。(ただし、男女が逆で、妻がDVである場合もあり。)

ちなみに、「共依存、支配と依存、自尊心、境界線」というキーワードは、いずれも、第3チャクラ(太陽神経叢のチャクラ)という、みぞおちのあたりにあるチャクラに関係しています。チャクラというのは、経絡が集まっている体のエネルギーセンターで、主なチャクラは基底の第1チャクラから頭頂の第7チャクラまで7つあります。

第3チャクラは、自分自身との関係にまつわるチャクラなのですが、このチャクラに関して、共依存を「召使の精神」と表現して説明している記述があって、とてもわかりやすいと思ったので、一部引用します。

 

召使は、第1のチャクラの犠牲者や第2のチャクラの殉教者ほど機能に障害があるわけではありませんが、認知されず、報いがないという点は同じです。召使は他人に服従し、依存することで、自分の幸福に対する責任を譲り渡してしまいます。召使はよく愛すべき人だと呼ばれます。それは人となりではなく、行為を評価されてのことなのですが、召使はもっと他人からそう呼ばれる関係を無意識に求めます。その結果、召使は、威張り散らす支配的なパートナー(ときに暴力的になり虐待を行う)や、控えめで扱いやすい「召使」を使って自己評価を上げようとする同僚などと関わることになります。召使は外から認められることをしゃにむに求めますが、不運にもかなうことがありません。それがかなうのは、自己を尊び、自分に価値があると思えるようになった時です。召使はまず「私には価値がない」と唱えるのをやめ、真の自尊心を声に出してみる必要があります。

(リズ・シンプソン著 産調出版「チャクラヒーリング」)

 

まとめると、いじめにあいにくくなるためのコツとしては、次のことがあげられます。

他者の承認にすがって自己価値を埋めようとするのをやめ、自分で自分の価値を認めること。境界線をしっかり持ち、自分の内面にフォーカスして、自分にとってなにがよく、何が嫌なのか、しっかりと把握すること。そして、嫌なことには堂々とノーということ。人がどう思うか、人がどうやったら満足するかばかりに意識を向けることなく、自分がどう思い、どうやったら満足するかも大切にし、主体性を持つこと。

これらのことができるようになると、人は、犯しがたい尊厳を帯びるようになるので、支配して自分を満たそうとしても、近づいて思い通りにしずらくなります。そうなると、いじめっ子はもっと支配しやすい別のターゲットを探さねばならなくなり、離れていくはずです。

いじめは、いじめる方が絶対に悪いのですが、そうはいっても、いじめが存在するのは現実です。ならば、対策を考えたほうが得だと思います。

どこへ行ってもいじめにあう人は、いじめっ子をひきつけてしまう要因、いじめを増長させていまう要因が自分の中にないかどうかをチェックし、もしあれば改善することで、支配から自由になる道を選ぶことができると思います。                                                                                                               

                                                                                                                                          (Chika)   

                                                                                                                                                                                                                                    

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

 

 

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9月7日の盛岡セミナーを終えて

9月7日、サンライフ盛岡で、「感情の扱い方、心の癒やし方」と題して、セミナーを開催しました。

今回は、あまり事前に告知ができなかったのですが、それでも17名の方にご参加いただき、中には早起きして遠くから来てくださった方も何名かいらっしゃいました。ご参加いただいたみなさん、本当にありがとうございました。

今回参加予定だったけれど、当日都合がつかなくなってキャンセルされた方が5~6名おられ、次回はいつやりますかとお問い合わせいただいているので、同じ内容でもう一度開催するかどうか、検討してみようと思います。開催する際は、またホームページ上でお知らせしますので、よろしくお願いいたします。

今回は2時間半の長丁場だったのですが、複数の方から「あっという間でした」「リラックスできました」というお声をいただきました。

今回、会場では、BGMにリラクセーションの音楽を小さくかけていたのですが、やはり音の力は大きいと感じます。音や香りは、空気と同様、風の性質を持ち、空間に作用して、場のエネルギーを変える力があります。

みなさん、熱心に集中して聴いてくださり、おかげさまで会場がいい雰囲気に包まれていたと思います。セミナーでは、話し手と聴衆が相互に影響し合って、場の雰囲気を作り出しますから。

余談ですが、以前ご参加いただいた方で、今回もいらっしゃった方がおられて、少しお話をしました。彼女はもともとお顔立ちがきれいな方ではあったのですが、今回はより一層光輝くような表情で、雰囲気が洗練され、とてもいい方向に変わっていらっしゃったのが一目でわかりました。伺ってみると、いろいろと心に疲れがたまっていたことに気づいたので、ここ数か月で、過去にさかのぼって自分を振り返り、全部書き出してみて、いらないものは断舎利されたのだそうです。辛い作業ではあったけれど、そのあととてもすっきりして元気になったと話しておられました。つまり、心の大掃除をして、いらないものをゴミだししたら、阻害するものが無くなって風通しがよくなり、もともと彼女が持っておられた光が、外にあふれて輝きだしたということだと思います。とても賢明で、素晴らしい方だと思いました。

問題が起きたとき、周囲の人や環境にばかり目をやり、責めていると、状況はまずよくなりません。一時的に解決したように見えたとしても、同じような問題がまたいずれ降りかかってくるのがおちです。これに対して、自分を見つめなおし、自分の中に原因を探して、自分自身を変えようと努力する人は、その問題のテーマから抜け出すことができ、もっと完全な意味で、快方へと向かいます。

インナーワーク(内面を見つめる自分作業)は、辛かったり痛かったりするので、楽な作業ではないのですが、これをちゃんとやった方は、必ず心が回復して、よくなっていくということを、私は臨床経験から確信しています。ただし、その際、自分を責めて罪悪感にとらわれたり、自己憐憫の落とし穴にはまってしまわなければ、ですが。

頑張った分だけ、自分の持つエネルギーがシフトして、上に上がれるということ、そしてそれは自分次第、ということですね。                                                                                                                                                                                                                                                                                         (Chika)

 

 

昨日行った、秋田の温泉から見える、田沢湖の風景です。もうすっかり秋ですね。

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カウンセリングを勉強してよかったこと

カウンセリングを勉強していよかったと思うこと、それは、ことあるごとに、自分にもカウンセリングのスキルを適用するので、気持ちを切り替えるのがうまくなったことだと思います。

私は、自分のことを、特別にネガティブ思考の人間だとは思わないですが、特別に前向きな人間でもないと思っています。腹が立つことも、不安に思うことも、逃げたくなることも、たまには気分が落ち込むことも、普通にあります。

でも、あんまり引きずらないほうだとは思っています。つまり、わりと切り替えが早い(つもりでいる)。

だいたい、かなり落ち込んでも、長くて1~2日で回復して、気分が治った後は、

「え~と、そういえば、なんで落ち込んでたっけ。」

と、原因が思い出せないことが多いくらいです。(←単に物忘れがひどいだけか。最近、今日の晩ごはん、何食べたかも思い出せないし。)

そして、これは、自動的に気分が切り替わるのではなく、考えてみると、意識的に切り替えていることが多い気がします。

例えば、

「あ、今、あのことに対して腹が立っているな。だったら、すぐに反応するのはやめよう。怒りは数分で静まるはずだから、しばらくほかのことをして、冷静になってから、さっきのことに戻ろう。(←怒りの感情にまかせて行動すると、ろくなことにならないのを知っているから)」

とか、

「あ、自分、今、あの問題を怖がって、逃げたいと思っているな。ここで逃げたら、後でもっとしんどくなるから、あえて今、ぶつかっておこう。(←怖いものは、避ければ避けるほど、怖さが増すことを知っているから)」

とか、

「今、心身にストレスがたまってきているな。意識的に腹式呼吸して、酸素をたくさん吸おう。でないと、このままだと、ストレス性の肩こりと頭痛が起こるから。(←呼吸は、そのときの気分を切り替えるのに一番手っ取早い方法。浅い呼吸だと、頭に酸素が廻らなくなるので、頭痛がしたり、クリアにものごとが考えられなくなる。)」

などなど。

基本、自分の心の状態に敏感になって、自分の内面で起こっていることに注意深くなると、自分の心をコントロールすることが容易になります。

まあ、アメリカの大学院でのカウンセリングの勉強は大変で、朝から晩まで土日もそっちのけで、時にはご飯を食べる暇もなく、3年間勉強しまくりの忙しい日々だったのですが、こうして、自分に役立っているっていうだけでも、頑張った甲斐はあったなあと思います。                                                                                                                                                   (Chika)

 

       

 

ねこのミミをマッサージ中。

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