盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

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07月

ペットによる癒し

アメリカでは、ペットを飼ってはいけないアパートでも、精神科医や心理療法士が一筆書いて、精神疾患の症状があると証明されたら、犬や猫を飼うことができます。(州や地域によるかもしれないけれど、そういうところの方が多いと思います。)

ペットは、人の心から愛を引き出してくれるので、癒し効果があるんですよね。愛のエネルギーは、どんな薬よりも癒し効果をもっています。スピリチュアル的に言うと、ハートチャクラを活性化して、心を開かせてくれるんですよね。

誰かから愛のエネルギーを受け取ったときも、自分が心からそれを発して放つときも、同様に、自分に癒し効果がもたらされます。

ちなみに、私は、犬やネコではないけれど、ヤギを飼いたいから、一筆書いてくれと、クライアントさんに頼まれたことがあります。(^_^;)

 

 

                                          (Chika)

 

 

久しぶりに登場の、うちのネコたちです。

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ポジティブとネガティブ

人間は、生来、誰でもポジティブな存在だと思います。

赤ちゃんは、自動的に親を信頼し、愛するようにできています。幼い子供は疑うことを知らないし、羞恥心もありません。

子供は、今に生きているので、あまり先のことを心配したり、過去のことを思い煩ったりしません。

小さい子供の鬱とか不安障害というのは、ないとはいわないけれど(特に不安障害)、大人に比べるとずっと少ないです。

人を信じられなくなったり、羞恥心を抱いたり、鬱や不安症になるのは、その後の経験によるものが大きく、後天的に学習されたものです。いわば、もともと肯定的な性質をもつ心の外側を、タマネギの皮のように、否定的な見方や感じ方が覆ってしまっている状態です。

それゆえ、ネガティブな精神状態になっている大人が、ポジティブに転じて、自由で幸せな心を取り戻すためには、身についてしまったネガティブなものを認識し、それを手放す必要があるのだと思います。

そのプロセスを踏まないで、自分の心の闇から目をそむけたまま、無理やり気持ちを切り替えたり、盛り上げたりして、ポジティブ思考に転ずると、心はやがて悲鳴をあげます。そういう人は、明るく強く見えても、無理をしているのが伝わってくるので、見ていてどこか痛々しいものです。

心というものは、無視されるのを、とても嫌がりますから、認めてもらえないと、ますます大声をあげて訴えかけてきます。

心にあるものは、すべて理由があって必然的にあるのだから、まず、ちゃんとその存在を認めてあげる必要があるのです。その上で、自分を益していないもの、役に立たないものは、選び取って捨ててもいいのです。そして、この「選んで捨てる」という作業は、ちゃんと見て認識して、つながりを持つことにより、初めて可能になります。

だから、ネガティブな感情にも、ちゃんとつながって感じてあげる必要があるということです。

便宜上、ポジティブとかネガティブという言葉を使いましたが、本当は、心にあるものに、いいも悪いもありません。だから、「ポジティブ」な感情、「ネガティブ」な感情というのも、本来、ありません。すべての感情は、必要があってそこにある、ただそれだけです。だから、こういう感情を持ってしまった、と自分を責める必要も、一切ありません。

ただし、自分の本当の幸せを実現するにあたり、役立つものか、そうでないか、というのはあります。例えば、怒りを持ち続けたり、人を恨んだり、嫉妬したりすると、それがいい悪いというのではなく、その感情にとらわれている間は、幸せを感じにくくなりますよね。 

でも、怒りを感じたり、恨みを抱いたり、嫉妬心を感じるということは、そう感じる理由があるはず。それが自分にとって幸福な状況ではない、とうメッセージを送っている感情たちは、裏をかえせば、何が自分にとって幸せか、何がそれを阻害しているのか、というメッセージもはらんでいるはずです。

それにちゃんと気づいてあげることは、大切だと思います。

光を感じるためには、闇も必要。結局、闇から目をそらさず、ちゃんと見てあげることによって、はじめて、本来もつ光が輝き出る、ということです。

 

 

                                             (Chika)

 

 

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子育ては「言うは易く行うは難し」

子育ては、「言うは易く行うは難し」ですね。

ブログで色々論じているかくいう私も、子育ては、珍道中そのもので、泣いたり笑ったり、青ざめたり‥‥(笑)

悩み多き子育て時代を無我夢中で通り過ぎてきたように思います。

当時の私は、周りのお母さん方を見て、「順調な子育てで、子どもたちもすくすくのびのびと育ってて、いいな~」と、羨ましく思うものでした。

そんな私でしたが、今では娘たちも大きくなり、「あの時はああだったね、こうだったね」と話す機会が増えてきました。

その話の中で、つい先日、思わず吹き出してしまう事がありました。

それは、娘たちがまだ小学生で、私が仕事と家事と子育てと実家の手伝いとで奮闘している頃の話です。

朝、目が覚めれば、もう私の頭の中は戦場!いかに時間までに掃除、洗濯、朝食作りにお弁当作りを仕上げるか、目を吊り上げながらパタパタしていたと思います。そんな時に、「おーい、あれはどこだ?」と主人。「お母さん!ジャージがないー!」と長女。「お母さーん、今日、雑巾持っていく日だった!」と二女。

そこで私。「だから、昨日、準備はできたの?って言ったじゃない!」と言うものの、それでも気持ちは収まらない。
「んもー!お母さん、お母さんって言わないでよ!今、3人同時にお母さんって言ったけど、お母さんの身体は一つなんだからねー!!」

今なら、「自分の事は自分でやるという躾をしていない自分が悪いのだ」と考えるゆとりがありますが、当時は、必死ですから、そのような考えは微塵もありませんでした。むしろ、「自分で自分の事ができない君たちが悪い!」といったような勢いでした。

ところが、最近になって、とんでもないことが発覚。

長女が言いました。

「あの時、お母さんが『お母さんって呼ばないで。』って言ったから、何て呼んだらいいかなあってすごく悩んだんだ。だから、『ねえ』とか『ちょっと』とかって呼んでたんだよね。」

「なにー?!」唖然とする私。

確かに、私の言葉通りに解釈すれば、そのとおりだ。
全くそのとおりだ。
その通り過ぎて、返す言葉がない。
日々の生活に追われ余裕を失うと、こんな風に親は勝手に通じているものと思い、子はそんな姿の親に、「じゃあどうすればいいのか」と聞くこともできず、一人で悩むんだ‥と、猛省しながら、ひたすら、謝った訳です。

今回は、大笑いで済みましたが、こんな小さな積み重ねが、親と子のボタンのかけ違いを招いていくのかなぁと漠然と思う今日この頃です。

 

                                                                                                                         (佐々木智恵)