盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

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メンタルヘルス

「統合失調症薬で85人死亡」の記事に思う

先日、新聞で見かけた記事に、ゼプリピオンという統合失調症薬で85人が死亡し、問題になっているとありました。

これは2013年から使われている新薬で、注射して効かせるタイプの薬のようです。

これを見て、改めて精神疾患に使う薬(向精神薬)の危険性について思いを馳せました。

私は精神科医ではないので、薬物療法は専門外なので、あくまでも個人的意見なのですが、薬は身体にとって異物であり、人工的に作られた薬の場合、副作用はほぼ必ずあると考えています。

アメリカでの臨床経験を含め、様々な薬を長期にわたって服薬され、中には中毒になり、それがなくては生きていけなくなった挙句、過剰摂取してショック死されたクライアントさんも見てきた私としては、薬だけに頼る精神の治療には非常に疑問を抱いています。

特に日本の精神医療の在り方には、以下の理由から、とても危惧しています。

1)アメリカではすでに危険なので使われなくなっている薬が、いまだによく使われている。

2)同じ症状に重複した作用のある幾種類もの薬が、大量に処方されている。

3)正確な診断ができると思われる精神科や心療内科が少なく、誤診が非常に多い。特に統合失調症、双極性障害、発達障害の過剰診断は目に余るものがある。

3)に関していえば、例えば、「自分が嫌で仕方がない。無気力で、何をする気も起こらない。もう死ぬしかない。」と言っている人が、心療内科に行って、時間をとって話を聞いてもらうこともなく、発達障害の心理検査だけ与えられる。その結果、発達障害の傾向はあるが、機能的には問題がないレベルでしょうと言われる。こういうことが実際にあります。この人の場合、明らかに希死念慮を伴った抑うつがターゲットになるべき症状であり、緊急に治療的介入が必要なのですが、主治医はそれを見逃してしまっています。また、「自分が嫌い」という状態は、薬で治すことはできません。なぜ自分が嫌いなのか、いつから?そのきっかけは?というところから聞いていって、どうしたら自分を受け入れ、生きる辛さを軽減できるか、という方法を探る必要があると思いますが、話も聞いてもらえず、薬を処方されるだけでは、それはできないでしょう。例え薬で仮に一時的に気分が軽減したとしても、根っこにある鬱を引き起こす原因がそのままであれば、またいずれ症状が優勢になってくる可能性が高いです。

加えて、統合失調症や双極性障害をあまりにもイージーに診断してしまう傾向は、とても危険だと思います。なぜなら、これらの診断が出れば、強い薬(抗精神薬)が処方される可能性が高く、それがもし誤診で必要のない薬であれば、益になるどころか害になります。

脳内神経物質に作用する向精神薬は、摂取し始めた時は異物であっても、体がそれに慣れるに従い、それがあって初めて正常に脳が作用するようになってきます。言い換えれば、それがなければ正常に作用しなくなる。身体が依存してしまい、薬を切れると不安で仕方がなくなり、いてもたってもいられないので、盗んででも薬を手に入れようとするクライアントさんが、アメリカに何人もいました。

また、大量の処方薬を長年飲んでいる人には、共通した表情があり、それは大麻や覚せい剤、ヘロインなどの麻薬を長年常用している人と酷似していることもつけ加えておきます。ひとことでいうなら、薬に支配されて、生命力を抜かれてしまった、ソンビのような生気のない表情です。恐らく、人工薬には本来備わっているプラーナ(氣)を弱める作用があるのだと思います。

日本では、ネガティブな症状(抑うつ感、無気力、表情のなさなど)だけで統合失調症と診断されるケースが多いようで、びっくりしていますが、妄想や幻覚、特異な言動などのポジティブな症状がなければ、本来は統合失調症の診断基準に値しません。また、双極性障害の躁の症状にしても、正常範囲内と考えられるのに病気にされているケースが多いように思います。ストレスが高まったときに怒鳴ったり、買い物で発散させるという行動は、誰でもしうることで、それがそう頻繁でなく、ストレスレベルからして無理もない状態だったり、使った金額が収入や貯蓄の額からして、そうダメージを与えるものでない場合は、正常範囲内と判断できるかもしれません。そのあたりも詳細に聴取してなければ、正確な診断はできません。

色々書いてきましたが、最終的に、自分を守るために、適切な診断を下し、適切な治療をする力のある医師や病院を選ぶというのは、自己責任になってしまいます。専門家のいうことだからと、盲目的に鵜呑みにしないで、少なくとも処方された薬の作用、副作用を自分で調べて知っておく、おかしいと思ったらセカンドオピニオンを得るなどして、自分がよくなり、幸せになるために、自身の判断を用いてほしいと思います。

 

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自尊心とガソリン

今日、読んだ何かの文で(英語だったけど)、

「才能に恵まれているけど自尊心がない人は、ガソリンのない高級車みたいなものだ。体が不自由だけど自尊心が高い人のほうが、多くを成し遂げることができる。」

と書いてあり、なるほど、その通りだな、と思いました。

高学歴でも、自尊心が低いために、社会に出て仕事に就けず、不安やうつにさいなまれて引きこもっている人を知っています。

一方で、障がいがあっても、生き生き働いたり、人生を楽しんだりしている人は、世の中にたくさんいます。

自尊心っがあるって、自分を大切な存在と認識している、自分に対する愛がちゃんとあるってことですよね。内在する愛のパワーは、車のガソリン、つまり、エネルギー源になります。

自分に自信がない人は、例え体格がよくても、なんとなくエネルギー不足に感じられ、自己に尊厳が備わっている人は、体が小さくても、冒しがたい力づよさを感じるわけも、ここにあるのだと思います。

 

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心と体を壊すものと癒すもの

この仕事で多くの人を見てきて思うことがあります。

憎しみや妬みや恨みが、いかに人を害するか。

悲しみは、否定的な思いが人に向けられていない分、まだましなのですが、人に向けられた否定的な思いは、それが強烈であればあるほど、場合によっては相手も幾分か害するでしょうが、何よりもその人自身の心身をむしばんでいきます。その思いを発する人は、苦しく殺伐とした気分になるだけでなく、容貌が衰え、病気にもなりやすくなります。おそらく、それらの感情を作り出すために、自分の中にある非常に多くのエネルギーを燃やさなければならないため、エネルギーが枯渇してとても疲れるし、免疫も落ちるのだと思います。否定的な感情のエネルギーというのは不調和で不自然なため、大量に長い間持続させると、有害な影響を自分の心身にもたらします。

自分の苦しみを人や環境のせいにして、人や社会を害するような言葉や行動を強烈に生み出している、負のエネルギーが非常に強い人は、顔つきが近寄りがたい凶悪さを帯びるだけでなく、体の方もだんだん衰弱していくようです。こういう人の奥に垣間見えるのは、たいていとても強い恐れなので、本当はそれに直面して対処しなければならないのですが、本人が自分の内面にある恐れを自覚できるレベルまで覚醒するには、長い道のりを要することが多いようです。なぜなら、こういう人たちは、自分の中ではなく、外の世界ばかり見ようとするからです。

逆に、人を瞬時にして癒しパワーアップするものは、愛の感情です。愛のエネルギーは宇宙と調和的なのです。誰かに対して、思いやりや慈しみ、優しさといった、純粋な愛の感情を抱くと、相手の癒すでしょうが、何より自分自身を癒し、パワーで満たすことができます。自分の中に内在する愛につながると、そのポジティブなエネルギーは身体や脳を駆け巡り、一瞬で波動があがります。波動が上がるというのは、具体的には、「軽い、明るい、柔らかい」という感覚として感じられます。目の前がパッと明るくなり、筋肉がリラックスしてゆるみ、体が軽く感じられるようになります。恨みや妬みを抱いている人が生きている「暗く、重く、固い」世界とは対極の状態です。

今まで苦しみの世界に生きてきた人が、自分の中の愛にアクセスしたことにより、短時間で意識状態が切り替わり、悩みから解放される例を、私はたびたび見てきました。そういう人たちは、別人のように顔が穏やかになり、表情も柔らかくなります。愛の調和的なエネルギーで満たされると、当然、心も体も元気になります。こういう状態にある人は、おのずといい現象を引き付けるので、人生もよりよく変わっていきます。

人生って、結局のところ、自分の心(意識)の持ちようなんだと思います。

 

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原因不明のうつが繰り返される時

あるクライアントさんのケースです。(プライバシー保護のため、詳細は変えてあります。)

彼女はとても前向きで明るい性格です。大学にもバイト先にも友達がたくさんいて、リーダー的存在でした。

ところが、数年前から年に何度か、わけもなくうつ状態に陥るようになりました。いつも些細なきっかけで立ち直るのですが、うつの程度は年々ひどくなり、最近では、無気力になって授業をさぼり単位を落としたり、バイトを無断欠勤したり、発作的に死にたくなったりするようになりました。あるいは、一晩中、ほとんど寝ないでスナック菓子を大量に食べ続けることもあり、ちょっと聞くと躁鬱を疑うような症状が見受けられます。

反復性のうつの場合、もし冬だけに起こるようなら、季節性感情障害(日照時間が短いため、うつになる病気)も考えられるのですが、彼女の場合、発症に決まった時期はないといいます。

そこで、私はふと思いついて、聞いてみました。

「子供時代は幸せでしたか。」

彼女はその質問に、最初は明るい表情のまま、次のような話をしました。

彼女の両親は、幼児期に離婚しており、彼女は実の父親が誰か知りません。母親は小学校の頃に再婚し、義父は母親の目を盗んでは、彼女に暴力をふるい続けました。暴力のエスカレートを恐れ、また、母親に言ったら家庭が壊れると考えた彼女は、体のあざを隠し、何年も誰にも何も言わず、平気なふりをしてきました。

彼女には幼い腹違いの幼い弟がおり、自分は長女だからしっかりしなければならない、弟を守らねばならないという思いで、共働きの親にかわって家事をこなし、表面上は明るく元気に振る舞っていました。親戚や周囲の人は彼女をしっかりしたいい子、頼りになる子だと褒め、彼女はその役割を演じ続けました。

義父の暴力は、顔にあざができたとき問い詰められ、隠し通せずついに発覚し、以来なくなったそうです。

気持ちが落ち込んだ時も、こんな気持ちになる自分は嫌だから明るく振る舞おうと、無理に気分を変え、一人になると悲しみが襲ってくるので、あえて友達と騒ぐように努めていました。

このクライアントさんの場合、原因不明のうつが繰り返される理由は明らかに感情の抑圧です。本当は辛くて仕方がなかったのに、その気持ちを無視して、元気なふりをして生きてきた。これでは、潜在に押し込まれた自分の本当の気持ちが、

「ここにいることにどうか気づいて。ちゃんと見てください。」

とばかりに、認めてもらえるまで強く訴え続けるでしょう。それでも無理やり気を紛らわせ続けると、感情はコントロール不能なレベルまで暴走し、最終的には極度のうつや躁うつになったり、強迫観念症になったり、怒りを抑えられなくなったり、といった心の症状に悩まされるようになります。ひどい場合には幻聴を発症する人もいます。

「本当はとても怖かったし、寂しかったでしょう。」

と私がいうと、それまで元気そうに振舞っていた彼女は号泣し、

「そうだったんだ。私は寂しかったんだ。」

と、そこで初めて見ないようにしていた自分の気持ちに気づいたのでした。

どんな感情でも、ちゃんとそれを認識し、感じてあげると、やがては消滅します。反対に、見ないようにすると、自分の中に閉じ込められたまま、感情は持続し、その感情が強ければ強いほど、また、抑圧期間が長ければ長いほど、痛みは増していき、解消するのが困難になります。

自分の内面と、外側でどう振る舞うかという外面に、ギャップがあればあるほど、心というものは苦しくなります。ギャップがない人は、いわゆる自然体の人なのですが、矛盾がないので生きるのがより容易になり、自然な気持ちを素直に表現する為に感情に滞りができにくく、なにかあって落ち込んだとしても、切り替えも早いでしょう。

このクライアントさんは、たくさん泣いた後、すっきりして軽くなった、今まで他のことで紛らわせていたのが、本当は心の癒しにはなってはいなかったとわかったと言い、笑顔で帰っていきました。一度のセッションで彼女の未解消の感情がすべて解消されたとは思いませんが、少なくとも今後は心の声を無視するようなことはせず、もっと上手に自分の感情を扱うことができるようになるでしょう。

身体の傷が、ちゃんとそこにあることを認識し手当してあげないと癒えないように、心の傷も、痛くてもちゃんと直面して見ないことには、癒すことができません。このクライアントさんはそれが今回身に染みてわかったので、もう逃げないはずです。原因と正しい対処法を知ったことで、彼女の反復性のうつは、今後よくなっていくだろうと思います。

 

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関心と意識

人は、良くも悪くも、関心のあるものに意識を吸い寄せられます。 

恐れも、嫌いも、一種の関心です。 

不安が強い、とあるクライアントさんが言っていたことですが、ネットで、自分に当てはまるであろうネガティブな記述を見ると、ついつい見てしまう。そして落ち込んでしまうそうです。 

見なければいいのに、なぜ見てしまうかというと、それがこの人がイヤだ、怖いと強く意識しているものだからです。 

「何を意識しているか」が、その人の住む世界を作り上げます。 

ちなみに、波長が違うというのは、普段、意識している領域が違うということです。 

普段から、平和で、楽しく穏やかなものが好きな人で、本やテレビでもそういうものを好んで見て、普段の会話でもそういう内容の話をし、頭の中でもそういうことを考えている人は、詐欺師とか、殺し屋とか、麻薬密売人とは、違う世界に住んでいます。波長が違うから、まず日常生活では接点がないし、出会わない。仮にであったとしても、話が合わないので、お互いにひかれあわず、深い関わり合いを持つことはないでしょう。 

話が少しそれましたが、つまり、不安とか恐怖の世界に住んでいる人は、不安なもの、怖いものに強い否定的な関心を持ち、それゆえ、不安や恐怖の対象に頻繁に焦点を合わせて暮らしているということです。 

その現実を変えたければ、少しずつでもいいから、きれいなもの、楽しいもの、ありがたいもの、優しい気持ちにさせてくれるものを、日々の生活の中で探すこと。そして、始めは短時間でもいいから、それに意識を向けることです。 

そうすると、慣習的になっていた意識のフォーカスが、少しずつ是正されていき、徐々に普段の気分も変わってくるはずです。癖を直すのは反復が必要です。一昼一夜では変化はないでしょうが、地道に訓練していけば、気づいたら不安が少なくなって、明るい気持ちでいることが増えていた、という結果になると思います。

 

 

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心のエネルギー

心とか、精神というのは、目に見えないけれど、エネルギーを持っています。

抑うつ状態は、心のエネルギーが停滞した状態。本来、流れて変化しつづけるべきものの動きが鈍って、淀んでしまった状態です。感情を長い間抑圧したり、ストップ(麻痺)させたりすると、この状態になります。

怒りは、エネルギーの噴出。噴火山の爆発みたいなものです。マグマと同様、怒りを熱く体感し、色で表すと「赤黒い」と感じる人が多いです。マグマと同じで、すでに生まれてしまったエネルギーは、外に出さないよう抑えてしまうと、それだけ圧が強くなり、噴火するとき、爆発になってしまいます。爆発はたいてい破壊をもたらします。そうならないよう、ためないで小出しにする、その場合も、怒りの対象者ではなく、第三者に話を聞いてもらうなどして、安全な出し方をする、というのがいいかと思います。また、量は同じでも、エネルギーの質を変えて表現すると、上手に処理することができる場合もあります。例えば、被害者やその家族が、怒りや憎しみを変換して、社会活動にエネルギーを費やしたり、作家や芸術家が、作品を生み出すエネルギーにしたりするのは、フロイトのいうところの「昇華」であり、破壊的ではなく建設的なエネルギーの使い方ですね。

悲しみも同様です。悲しみの感情は、泣いたりして表現し、外に出せば、エネルギーの表出になり、流れと変化が生まれて、やがて消えていくのですが、我慢して抑えてしまうと、心の停滞を生み、うつに転じることが多いようです。

最後に、不安は心のエネルギーをとても浪費する感情です。不安症の人を見ていると、必要なことにエネルギーを使わないで、無駄なことに多くのエネルギーを費やしていることに気づきます。だから、とても疲れるわりに、現実に変化が起こりにくい。ああなったらどうしよう、とあれこれ考えて、動けなくなり、必要な一歩が踏み出せないのは、その典型です。ひどい場合は、明日、用事があるから早く寝たほうがいいのに、すでにきれいな部屋の掃除を、寝ないで一晩中する人もいます。こういった強迫神経症的な行動の裏にも、強い不安が隠れていたりします。不安は、意識が現在ではなく、未来に行き過ぎるために起きることが多いので、先のことを考えすぎないで、マインドフルに生きる、つまり、「今、ここ」に意識を集中して生きることで、浪費を防いでエネルギー効率をよくすることが可能になります。ただし、寝ないできれいな部屋を夜中に掃除するような人は、目かくして見ないようにしている心の傷から逃れようとしている場合がよくあるので、マインドフルネスのような心のコントロール法と並行して、その傷の手当てをちゃんとしてあげる必要があるかもしれません。

今回は、思いつくままにいろいろ書いてみましたが、今後、心のエネルギーに関しては、量子力学の観点からも、質と量のある実態として、色々なことが明らかになってくるのではないかなあ、などと思っています。

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抑圧された感情が引き起こす症状

 ずいぶん前にも同じテーマで書きましたが、前回開催したグループセラピーの資料用にもう少し詳しく書き直したので、ブログでもシェアしたいと思います。

感情の扱い方は「感じて表現すること」が基本です。

そうすれば感情は解消されるので、また新しい感情が入ってくるスペースができます。こうして常に移り変わるのが感情の性質です。

ところが、もし感情を感じないよう抑えたり、感情を無視して感じないようにすると、本来出ていけるはずものもが閉じ込められて出ていけなくなります。そうすると感情は停滞します。これは「流れる水の性質」である感情にとってとても不自然な状態で、いわば流れが止まって淀んだ沼のような状態になるので、様々な心身の症状を引き起こすわけです。

では、感情を抑圧すると具体的にどんな症状が起こりうるか、下記に挙げてみます。

 

意味のない不安感 

感情はエネルギーを伴います。それを外に出さないで閉じ込めたら、緊張や漠然とした不安感を覚えることがあります。次に誰かに対する怒りを抑えた時、その後不安を感じるかどうか、確認してみてください。情熱や興奮の抑制も、不安をもたらすことがあります。

何かを失って悲しい時、悲嘆を表現しないでいると、しばしば鬱になります。泣いて涙を流すと、気分が改善し、効果的に喪失を悼むことができます。また、鬱は怒りを閉じ込めることよっても起こります。鬱は自分自身へ向けられた怒りが仮面をかぶった姿である場合もあります。近い過去に明らかな喪失体験がないのに気分の落ち込みを感じた時は、何に怒っているか自問してみるといいかもしれません。特に、自分を攻撃したり批判したりしている時には、この問いかけが役に立つでしょう。

身体疾患

頭痛、胃潰瘍、高血圧、ぜんそくなどの身体症状は、慢性的な感情の抑圧の現れかもしれません。自分の中の強い感情を特定し、表現することにより、多くの心因性の症状を軽減できる可能性があります。

筋肉のコリ

筋肉の張りやコリは、抑圧された感情がもたらす、ありふれた症状です。人は、気持ちを抑えるとき、特定の筋肉群をこわばらせる傾向があります。怒りや欲求不満を抑圧するときは、しばしば首の後ろや肩が固くなります。悲嘆や悲しみの抑制は、胸や目の周り、恐れは、胃やみぞおちを固くすることが多いでしょう。ただし、感情と筋肉群の相関関係は、絶対的なものではなく、上記以外の場所でも体に緊張を覚えることはあります。

(参考資料:Bourne, E. J. (2000) The Anxiety and Phobia Workbook. CA: New Harbinger)

 

感情とは一種のエネルギーなので、放出することが必要なんですね。その際、普段からちゃんと感じて出すということをしていれば溜まらないのですが、長年抑圧すればするほど、心身に有害なものになってしまいます。地震とか火山の爆発も、エネルギーの蓄積が大きければ大きいほど、大規模で有害なものになってしまうのと似ています。

自分の感情に無頓着でいる癖がある人は、自分が何を感じ、どんな気持ちになっているか、ジャッジすることなくありのままを観察するようにしてみたらいかがでしょうか。そうやって意識を向けるだけで、沸き起こった感情が自然に消えていく場合は多々あります。また、自分がどんな感情を抱いているか把握することは、実は自分の感情をコントロールできるようになるための第一歩でもありますから。

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REM睡眠の効果

今日は、REM睡眠について書いてみたいと思います。REMとはRapid Eye Movement Sleep(=眼球が素早く動く睡眠)の略で、この睡眠状態の時、私たちは夢を見ます。

近年の研究で、REM睡眠が気分の安定に大きな役割を果たすことが明らかになってきました。REM睡眠の時間が長くなると、抑うつ気分は改善され、REM睡眠の時間が少ないと気分はより落ち込みやすくなります。また、REM睡眠を多くとった後は頭がより冴えるという研究報告があります。

ちなみに、薬やアルコールを使用して寝ると、REM睡眠は阻害されます。寝つきをよくするために、睡眠薬お酒を飲んで寝ると、確かに睡眠時間は確保されるかもしれませんが、睡眠の質は悪くなり、通常自然に寝た時よりも頭や体は疲れやすくなります。これもREM睡眠と関係している部分があるのではないでしょうか。

夢は私たちの潜在的な意識状態を映し出します。夢は、現実世界の出来事に対する私たちの感情的な反応をきちんと消化するために、絶妙なやり方で調整してくれるように思います。

トラウマに苦しむPTSDの患者さんは、悪夢にさいなまれることが多いため、夢を見ることを拒み、REM睡眠が訪れると覚醒してしまう傾向があります。これは無理もないことではありますが、REM睡眠の欠如が、結果としてトラウマの解消を阻んでしまう可能性もあると思います。繰り返される悪夢にも意味があり、心を癒すために必要だと判断した潜在意識が、いわば故意にトラウマの場面を見せているのだという説を聞いたことがあります。潜在意識に抑圧されたものが浮上するのには必ず意味があると私も思っているので、これにはうなずけるところがあります。

EMDRというPTSDの治療法のオーソドックスな手法では、患者が指の動きに合わせて眼球を左右に動かします。これにより、患者の脳はREM睡眠時と同じ状況になり、恐怖で凍り付いてしまっていた記憶が意識の上で適切に調整され、未完了だった場面が意味づけられ終結を迎えることができるため、症状の解消に功を奏すると解釈する専門家もいます。

いずれにせよ言えることは、夜、夢を見ることは、心の健康を保つために必要であるということではないでしょうか。潜在意識の働きは、人智を超えて私たちを導いてくれるものだと思います。

 

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意識と心と体

私は占い師ではありませんが、カウンセリングで数多くの人と接していると、この人は将来幸せになるだろうな、とか、反対に、この人はこのままではまず幸せになれないだろうな、と確信することがあります。

その根拠は、その人の意識状態にあります。

古代インドのウパニシャッド哲学によると、「意識が心を作り、心が体を作る」のだそうですが、カウンセリングをして、いろいろな人の意識状態、心の状態、体の状態をみてきた私は、つくづくそれは真理であると実感せざるをえません。

心に問題があると、やがて体に出ます。 問題がまだ心にあるうちになんとかすればいいのですが、それをしないで先延ばしにしていると、猶予期間を経たあと、目に見える形で肉体に現れます。

何年、何十年と、恨みや悲しみ、恐れ、自責の念、恥などの感情を持ち続けている人は、若いうちはまだいいのですが、特にある程度の年齢を経ると、体の痛みや病気といった形で、否が応でも心の問題に直面せずにはいられなくなります。ただし、若い人でも様々な身体症状に悩まされる人は結構います。例えば、虐待が多いアメリカでのカウンセリング経験では、線維筋痛症はたいてい虐待、特に性的虐待を経験し、それを長年抑圧していた人に非常に多く見られました。PMSや更年期障害といった症状も、心の症状と何らかの相関関係がある場合が多い気がします。

そして、心の問題は意識の在り方によって形成されます。

誰かに何かをされて嫌な思いをしたとき、いつまでも人を恨み続ける人、必要以上に自分を責めて落ち込む人とでは、心の状態がおのずと変わってきます。この場合の意識というのは、思考よりももっと奥深い部分を指します。思考(認知)は意識の表れではありますが、そのごく表層の一部が現れにすぎません。(なので、最近日本でもやっと知られるようになってきた認知行動療法だけでは、意識まで変えることはなかなか難しいと私は考えています。)

個人的には、心理カウンセリングは、結局のところ、本来、意識を変えるサポートとなるのが望ましいと思います。なぜなら、意識が変われば、すべてが変わりますから。何十年も鬱や不安、PTSDの症状にさいなまれていた人が、それを克服して別人のように明るく幸せになった例を時々見かけますが、これは意識がシフトした(切り替わった)結果に他ならないと感じます。そういう人たちは、口をそろえて、

「こんな気持ちになる日がくるなんて思わなかった」

「トンネルを抜け出して、明るいところに出たようだ」

と言います。意識、心、体のエネルギーが低い状態では、固く重く暗いと感じられますが、高い状態にシフトすると、軽い、明るい、柔らかいと感じられるのです。

ただ、意識を変えることは、大元を変えるということなので、そう簡単にはいかないことも多々あります。例えば、いつも原因は人にあると思っていて、自分の在り方に気づかない人に、傍から見るとそれでは決してうまくいかないとわかっていても、それに気づいてもらうのは一筋縄ではいかないことが多いものです。

どんな人も、奥底には純粋で光に満ちた意識を持っているものだと思いますが、それが何層にもおおわれていて、そこに到達するまでに取り除かなければならないものがある場合は珍しくありません。たいてい、そういった障害物を作り出しているのは、「痛み」、端的にいうと「愛の欠如」だと思います。

人の意識をより明るく光あふれる状態に導く方法を、これからもいろいろ学んで、カウンセリングに生かしたいていきたいなと思います。

 

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