盛岡心理カウンセリング・ハミングバード

ハミングバードは、心理療法カウンセリングのセラピールームです

お問合せ: 019-681-2268 (完全予約制です。多忙につき、お電話に出られないことが多くご迷惑をおかけします。ご予約の際は、留守電にご連絡先を残していただくか下記お問い合わせフォームよりメールでご連絡ください。)☆営業時間:9時~18時(不定休)

考察・気づき

注意をそらすための世界

最近、ふと思ったのですが、世の中、テクノロジーが発達して便利になっているのに、昔よりも忙しく、時間がないように思われるのはなぜでしょうか。

昔は洗濯板で洗濯をし、かまどの火を起こしてご飯をたいて、井戸の水を汲みに行っていたのでしょうから、確かに毎日忙しく、大変だったでしょう。でもおそらく、今よりももっと、人々が現実に根差して生きることができていたと思います。

今は、洗濯機が洗濯をし、炊飯器がご飯を炊いてくれ、水道をひねったら水が出るので、時間も労力も短縮できているはずですが、現実を生きている人が少ないと思います。

つまり、生活が便利になった分、お金もかかるので、仕事に追われて、我に返って考える暇がない。余暇があれば、テレビやインターネットを見たり、ゲームに没頭したりして、今ある現実にいない。

今の社会は、現実から注意をそらすためには、恰好の場所だなあと思います。

現実から注意がそらされていると、今、自分の中に起こっていることに気づくことができません。

人間には、自分の魂が望む幸せな方向へと向かわせる、羅針盤が備わっています。自分の体が感じている感覚や、内面に起こっている感情は、幸せな方向に進むために、いつも信号を出して導こうとしています。(心や体の痛みも、実はこの信号なのです。)

けれども、息つく暇もなく仕事に追われたり、バーチュアルな世界に没頭していたりすると、それに気づくことができません。

そういう生活を続けていると、心や体が悲鳴をあげていても気づくことができないので、結果として、自分が心の底からは望んでいない方向に、人生が逸れていってしまうのは、まず確実でしょう。

自分の内側に起こっていることや、自分の生きている現実から目を背ける方法は、昔から、お酒や麻薬、女遊び、ギャンブル、買い物依存等、他にもたくさんありますが、近年の文明社会の在り方は、まさに気をそらすための手段の宝庫のようです。

そんな世間の風潮に流されないで、目の前にある雲や星を眺めてホッとしたり、テレビやパソコンを切って静かな時間を持ち、内観して自分に帰る時間を、毎日少しでも確保することは、とても大切だと思います。

 

 

IMG_5540

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自慢話が快いとき

みなさんは、誰かが自慢するのを聞いて、不愉快になったことがありますか。

不愉快になったことがある人は、多いと思います。

それでは、自慢話を聞いて、不快な気持ちにならず、かえって快い気持ちになったことはありますか。

頻度は少ないのですが、私はあります。もちろん、不愉快になるもあり、その方が、頻度としては多いです。

その違いがどこから来るのか、なんとなく考えていて、思い当たった答えがあります。

ずいぶん前ですが、アメリカのどこか田舎のリゾート地に日本人の友人と旅行した時、入ったレストランで、ばったり、現地に住んでいる日本人女性に出くわしました。その人は私たちを見て大喜びし、相席で食事をすることになりました。そこで日本人に会うことが比較的珍しかったので、うれしかったようです。

彼女は食事の間、たいへんよくしゃべり、私たちはもっぱら聞き役でした。詳しいことは覚えていませんが、内容は、彼女自身だったか、彼女の夫だったかが、たいへん優秀で、一流会社に勤めていて、社会的・経済的に恵まれた地位にある、という話でした。

1時間くらいの間、聞かされたのは、主にその内容だけだった気がしますが、あんまり嬉しそうに無邪気にその話をするので、聞いている私たちも、快い気分になりました。

彼女と別れた後、一緒だった友人と、

「かわいらしい人だったね」

と言い合ったのを覚えています。

彼女は何歳だかしりませんが、当時まだ20代だった私たちよりも、少なくとも10歳以上は年上だったと思います。

それでも、私たちが、

「この人、自慢ばっかりして、うんざりする」

と思わなかったのは、彼女の中に、人を見下す気持ちが、少しもなかったからだと、今になって思います。彼女は単純に、自分だか夫だかが優秀な業績を収めていることを、喜んでいました。ただ、それだけでした。

私たちが、誰かの自慢話を不快に思うときは、おそらく話をする人の中に、人と比較して自分の方が優れている、自分は特別だという、優越感、裏を返せば、人を見下す気持ちが、潜んでいるのだと思います。そして私たちはそれに反応をして、不愉快になるのだと思います。

もし、優越感が話し手の意識の中に全くない場合、私たちは話し手の中に、邪気のない純粋な喜びの感情だけを感じることができるので(聞き手の中に劣等感があり、それを話し手に投影してしまう場合は別かもしれませんが)、自慢話は不快なものにはならないものだと思います。

 

IMG_5096